小さなお店「エミリー」年商400万が8000万+経常利益2倍の秘密

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◆驚異のケーキ屋「エミリー」
小さなお店が年商400万から8000万になった奇跡の軌跡

家業の小さなケーキ屋に帰ってきた2000年は年商400万円あまり。日に一万円も売れない現実に、東京の菓子学校で一緒だった奥さんも唖然。クリスマス、目の前の寿司屋は繁盛してるのに、こっちはケーキ屋なのにガラガラ。思わずサンタのぬいぐるみを着て「ケーキありますよ!」と呼び込みボードを振るも効果なし。

そして2016年。同じ場所で年商は20倍の8000万円に。一体何をやってきたのか?その経験と行動したこと、すべてを話していただきます。+質疑応答も。







エミリー小野さんの人生

バイクが好きでスズキに整備工として入社。バイク屋になろうと思ってましたが、家業であるケーキ屋を父の代で終わらせてしまうのは惜しいという思いからケーキ屋に180度の進路を変えました。やるからには日本一のケーキ屋になろうと誓いました。

ちなみに、その時にバイクが近くにあると自分に甘えが出ると思い、とても寂しい気持ちでしたがその当時持っていた3台のバイクを処分して、その後一切バイクには乗っていません。24歳の冬の出来事です。

ケーキ屋になるからには基礎からしっかり学ぼうと、東京の吉祥寺にある二葉製菓学校に入学し製菓理論や素材の事についてしっかり学び、卒業作品展では最優秀賞をとりました。

そして、修行先はその当時東京で一流の店と言われた「コンデトライ菓子の実」にて住み込みにてケーキ屋の仕事とはこういうものだと身につけさせていただきました。徒弟制度のきっちりしたところで毎朝5時から夜遅くまでケーキを作っていました。

「作っても作ってもケーキが売れ、こんなに売れるなんて本当にすごいな」と思い尾張旭に帰ったら自分もこんな店にするぞと誓いました。

技術の向上を目指しケーキ作りのコンテストに出場したり、休日は東京中のケーキ屋を食べ歩きをしたり、考える事はケーキの事ばかりです。まさにケーキ漬けの日々を過ごしました。

しばらくして親方から「そろそろ修行を終え実家でケーキを作りなさい」と言われました。3年半の修行を終えエミリーに戻ってきたのは29歳の夏でした。

「さあこれからは東京で学んだケーキ作りで地域のみんなに喜んでもらおう」と思ったもののケーキが売れない日々が続きます。

「東京ではあんなにケーキを作っていたのになんでなんだ」と出るのはため息ばかり。たまにご来店を頂くのは近所のおばあちゃんが来て、その当時売っていた70円の和菓子を買って行くかタバコを買っていく馴染みのお客さんくらいです。

実家に戻りその年の秋に東京の製菓学校の同級生と結婚して家庭を持ったばかりです。同じ志をもち頑張ろうと誓っていたのに。気持ちは焦るばかりです。

このままではダメだ何かをしなければ。

思いついた考えが「じゃんけん大会」です。まずは「じゃんけん大会」という話題でお客様を集めようと思いました。土曜日と日曜日の午前と午後に時間を決め合計4回「私とじゃんけんをして勝ったらケーキをプレゼントします」とチラシを書き新聞に折り込みました。これでお客様が大勢来るだろうと思ったものの、ご来店頂いたのは4回とも一組の兄弟が来ただけという結果に。

「自分の作ったケーキはタダでもいらないのか」と自信をなくしました。嫁さんからはパートに行こうかと言われ、情けなくなるとともに、絶対エミリーを有名な店にするぞと誓います。

それが2002年頃のことです。その頃、本もたくさん読みました。船井幸雄、神田昌典から竹田陽一に遭遇。2004年名古屋舟橋さん主催の栢野+小串セミナーで「顧客名簿はどうやって取るんですか?」と小串さんに質問し、この10年で逆転成功!食べログ見ると、味は普通。果たして何をしたでしょう?
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