第159回 九州一の宅配鮨「ふく鮨本舗の三太郎」天職天命物語

3,150円(税抜)

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2007年10月・第159回「九州ベンチャー大学」

 

福岡を中心に九州最大の宅配鮨を28店展開。他に法人へ会議弁当・博多駅と福岡空港へ弁当を供給。丸ごと明太子弁当などがヒットして人気NO1。新たに博多発の新鮮魚等の通販を全国へ開始。正社員33名・従業員約560名で年商25億(詳細はネット検索)。蔀(シトミ)社長は昭和32年北九州市生。虐め等で自殺未遂後に学習院大学へ入学するが、放蕩で親子喧嘩の末にヤケクソで自衛隊へ。レンジャー特殊工作隊経てマクドナルドへ転職。優秀店長賞のカナダ遊学で勤め人の限界悟り、モスのFC加盟独立準備中にラーメン店マニュアル依頼受けコンサルで独立。その後成功哲学教材の代理店で日本一経て営業コンサルに。過労で倒れ、宅配鮨へ業態転換して一気に九州一へ。が、上場目指した回転鮨事業に失敗。数億の借金を抱えて長期ウツに。その間、経営・天命・人生・プラス思考・通販他のセミナー他で猛勉実践重ね、ついに自分なりの天職を発見。増収増益に転じて資金繰り良好。毎朝4時起きで魚市場の天然物仕入。七転び八起きの経営人生を語る。




以下はカウTV・高橋さんのブログから 

※2004年段階のものです。

せっかく入学した学習院大学に3日しか通わず、学生運動とナンパに明け暮れる青春時代。大学にも通わず遊び歩いていることを親に気づかれ、実家へ強制送還。その後、22歳で自衛隊に入隊し小倉→佐世保→千歳など2年余り渡り歩く。除隊後、24歳でマクドナルドに就職。9年間で転勤10回、転居6回。マクドナルドで学んだ仕組みと店長の経験が後にデリバリー寿司システムの原点となる。

32歳の時ドゥイットナウを設立。「サラリーマンに向いてなかった。会社を作ることが目的だった」と話す通り、特にコレと決まった業務は持たず、マニュアル作成から、カセット教材販売、セミナー講師など様々な仕事を手がけた。

転機となったのは36歳。過労で倒れて収入がストップしたのを機に「いつまでも自営ではいかん。仕組みを作ることに目を向けよう」と目覚め、システムを作るべくデリバリー寿司の業界に殴り込みをかける。 旧態依然とした寿司業界。値段が高い上、出前は2、3時間は当たり前という殿様商売。

蔀社長は「ここなら勝てる!」と思ったという。

寿司に関してはド素人だったが、米は米屋、魚は魚屋といった具合に、その道のプロたちに教えを請いながら仕入れのシステムを構築していった。初年度でいきなり6000万円を売上げ、その後、2億、5億、7億と順調に売上げを伸ばす。

しかし1999年、新たにスタートした回転すし事業で大失敗を味わう。出展した6店舗のうち沖縄を除く5店舗を閉鎖し、5億円の損失を出す。この挫折の時、広島の先輩経営者に言われた言葉が心に残っているという。「なぜ階段は一段ずつあると思うか?」「地道に一段ずつ登るためだ。二段越ししようとするから転ぶんだ。」 その失敗から立ち直り、今では年商22億。去年1月からはJRの駅や空港などの弁当、いわゆる「駅弁」「空弁」事業もスタートし、一年目で一億円の売上げを計上。とことん手の込んだ商品」という高付加価値が的中。「他人がマネしたがらない面倒くさい商品」で価格決定の主導権を握った。今や、福岡空港のJALの空弁はドゥイットナウがシェア80パーセントを得ているという。

現在48歳。2005年は年商25億円を見通す。そんな蔀社長が若者に求めるものは「ワガママさ」だという。八方美人はダメ。ワガママな奴の方が見所がある。叱られてプーッとふくれるくらいの奴の方が個性があってイイ。根拠のない自信でもいい。若い頃は強い思い入れが必要だと。逆にダメなのは「自分は頭がいい」と思い込んでいる奴。口では「できる」と言いながら実際にやらせてみると全然ダメと言うパターン。だからワガママでもいいから主張がある奴や、自分がバカだと知ってて勉強する奴を社員として求めていきたいと話す。 僕が蔀社長を取材してもっとも印象深かったのは、その笑顔のやわらかさ。夢を持って人生を切り開きながら幸せを探し続ける人間の魅力がオーラとなってにじみ出ていた。とにかく笑顔を絶やさず、話が具体的で分かりやすくポジティブ。経営者の「理想的な姿勢」を教えていただいた気がした。

◆以下は2008年の雑誌インタビュー

私は、福岡で生まれ育ちまして、大学進学時に上京し学習院大学に進みました。が長続きせず、途中でやめました。その後陸上自衛隊の特殊工作部隊に入隊し24歳の時に日本マクドナルド社に入社し、飲食の世界に入りました。10年間で10回転勤6回転居致しました。福井から沖縄までは結構わかりますよ。マクドナルドで日本一の店長となりましてカナダに留学を致しました。しかし、このままでいいのかと自問自答し、やはり自己責任において仕事をしなければと。ならば社長になろうと。即ち会社をつくり社長になることを目的で起業いたしたのです。

 ドゥイットナウは、設立当初は経営コンサルティングの事業を手掛け、主に世界的に認知されていた販売心理学講座のチーフトレーナーとして一年後には日本一の業績を作り、その後営業を教育するコンサルティングの仕事が増え続けましたが、4年後私自身体を壊してしまい月商600万円が全くのゼロになりました。仕事も遊びも全く手を抜かずとことんやりました。しかし虚業であったと悟り「これではいけない。日銭商売を実業として再スタートを切ろう」と一念発起し、全く経験のない寿司業界で勝負しようと。根拠はありました。2〜3時間出前を待たせても当然という殿様商売で旧態依然としていた寿司業界を考察しこの業界にビジネスチャンスがあると確信いたしました。寿司に関しては全くの素人でありましたがマクドナルド勤務の経験もあり、仕組み・オペレーションを構築すれば必ず勝負できると。特に仕入れに関しては、米と魚に徹底してこだわりその道のプロに教えを請いながら勉強し素材を大切に吟味・選ぶことに心を注ぎました。そして顧客を極力お待たせしない宅配システム作りを検証し作りました。

 最初の店舗は、早良区の有田。あえて寿司屋の激戦区を選びました。結果は、当たりまして6,000万円強の年商を計上いたしました。

 しかし95年に宅配すし事業をはじめての2年間はひたすら顧客に喜んでもらうために良い「ネタ」を出したことで原価率が高かったことなど赤字経営で苦しみました。原価率が45%と相当高いものでした。その後多店舗化を実施したことによって、仕入の原価率を引き下げることができまして、また素材のこだわりとより早くデリバリーするサービスが徐々にお客様に浸透し着実に業績を上げていき九州地区での宅配すしのトップクラスに躍り出ることができました。がしかし、欲張ってはいけませんね。回転寿司への進出が大失敗に終わり大きな損失を出しました。6店舗出店し5店舗閉めました。約5億円の損失です。

 ある先輩経営者に言われました「なぜ階段は一段ずつあるとおもうか?地道に一段ずつ登るためだ。二段越ししようとするから転ぶんだ」その言葉をきいて過信・慢心が自身の中にあったと気づきました。この試練を越えねばと。その苦い経験から宅配すし事業のコア化に努めました。

 回転寿司の失敗で、今一度原点回帰できました。気付かされたことに感謝いたしました。九州・博多は魚の宝庫。魚で勝負。そしてサービス。これらでは他社には絶対負けないという自信はありました。

 そのこだわりの魚については、自らが河岸に出て自らの目で見て選ぶことを一貫して行うことです。机上の空論では無理ですね。魚にこだわると言っている以上トップである私が実践しなければならないのは当たり前のことです。毎月のメニューは、季節の旬を大切にしたラインアップを取り入れ夏は鰻・秋は秋刀魚・冬はふぐ等、さらに日々の仕入れによる2〜3品が変わる商品ラインアップなど工夫を凝らしました。入会費・年会費無料の会員制度(ふくちゃんクラブ)、シルバー特典の導入による割引制度、お客様アンケートによる顧客の生の声を集めて商品・サービス開発・改善に努めること、一人前からのお届けの実践、会員様の誕生日月にバースディハガキの送付とバースディプレゼント・特典の提供など、ソフト・ハード共お客様の喜ぶ顔を思い浮かべながらそして感謝する心を忘れず、おもてなしする姿勢でビジネスモデルを築き上げて参りました。

 そして徹底してやり続ける事の尊さ、これは大切ですね。一人でも多くのお客様に廉価で美味しい寿司を食べて頂きたい、そのためにはどうすれば良いのか、まだまだ改善・勉強の連続の日々です。毎日魚市場に出向いて魚屋の大将に教えを請います。お客様からの声ももっと戴きサービスに反映しなければなりません。

 近年は、「空弁」「旅弁」たる弁当の製造販売も順調で新たな顧客作りに貢献しております。また通販の「美味九州」にて全国のお客様に九州・博多の食を味わって戴きたいです。設立以来成功と失敗・挫折の連続でしたが、感謝する心を忘れずこれからも九州・博多発の食を広めることで、社会に貢献して参る所存です。市場環境など関係ありません。私たちがお客様のために何が出来るのか全力で挑戦することが、大切であります。
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