【3時間】ひとりでネット起業体験談【19ヶ月で1億超え】

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◆「年収1000万円ひとりネット起業」体験談

●講師・元月収5万円フリーターがたったひとり19ヶ月で1億円稼いだ。自由で幸せな「ひとりネット起業」の専門家・関達也

●主催・九州ベンチャー大学・栢野克己

◆講師・関達也「ひとりネット起業家」
S・マーケティングジャパン株式会社 代表取締役

宮崎県1970年生まれ。千葉大学教育学部卒。10代の頃の夢はギタリスト。1988年にギタリストになるために上京するが挫折。なにを目標に生きていけばいいのか分からないまま時が過ぎ、1994年(24歳)に自由に生きる成功者がいることを知り成功者を目指すことを決意。塾講師、家庭教師、引越しドライバー、宅配、サッカーコーチ、ウェイター、バーテンダー、ホスト、カラオケボックス、ガソリンスタンド、冷凍食品製造、イベント設営、建築、営業、テレアポ、パン工場、警備員、ショップ店員、映画館、ビラ配り、弁当屋、訪問販売など、多種多様なアルバイトを経験し、2002年に有限会社バズ・スタイル(現 S・マーケティングジャパン株式会社)を設立。3度のどん底や破産寸前を味わいながらも、自由に生きる方法を模索。2005年にライブドアブログを開始。ユーザー100万人以上の中、全総合ランキング14位を記録し、当時大人気だった堀江貴文氏の社長日記を抜く。メルマガとネット販売を開始し、仕入れなし、在庫なし、人脈なし、コネ無し、資金なし、事務所なしの全くのゼロの状態から、たったひとりで田舎の自宅の1畳半からインターネットを使って億を売り上げ、「時間・場所・お金・仕事・人間関係」の自由を手に入れる。3人の子供と妻、そして2世帯住居で両親と暮らす。日本で唯一の「ひとりネット起業家」のためのメールマガジンは、9万人以上が購読。個人メルマガでは全国で15位以内に入る読者数を誇る(まぐまぐ!調べ)。全国各地で「自由になれるひとりネット起業」のセミナーを開催し、リピーターが出るほどの大盛況で好評を得る。

■ブログ
年収1000万円ひとりネット起業成功法
http://ameblo.jp/netkigyo/

●今回の内容は、以下29万円・4ヶ月コースのエッセンスです。
http://www.sekijyuku.com/

◆詳しい経歴(●裏のプロフィールはずっと下)

関達也・ひとりネット起業家

ひとりでできるインターネットビジネスの専門家
インターネットマーケティングコンサルタント
宮崎県商工会議所認定専門家 ITコンサルタント

S・マーケティングジャパン株式会社 代表取締役

●1970年7月6日生まれ 宮崎県出身

●1988年〜
千葉大学で、教育心理学や脳と体の働きについて学ぶ。在学中にアルバイト勤務したガソリンスタンドで、添加剤等の販売において全社員を超える売上げを何度も記録する。大学卒業後、一年間だけと申し出て塾に就職。講師を勤めるとともに、1ヵ月後には100名を超える小中学生を抱える教室の全運営を行う教室長を勤める。塾経営の生命線である、生徒増のためのマーケティングを学ぶ。わずか50m先に新しく出来た人気塾の影響で生徒が奪われ減っていく中、115%の生徒増に成功する。

●1994年〜
24歳の夏、人に雇われずに成功する道を目指すことを決断し独立。フリーターをしながらカタログ通販や訪問販売などの直販業界に5年間携わる。その間、成功哲学や自己啓発、栄養学、メンタルマネジメント、ダイレクトセリング、マーケティングなどに関する多くの書籍やセミナー、成功者からノウハウを学ぶ。販売業、広告業、飲食業、食品業、建設業、運送業など、50ほどの仕事を渡り歩く。

●1999年〜
28歳の春、アルバイト勤務した雑貨店で2ヶ月目に店長を任される。顧客心理マーケティングを習得し、アルバイト4人で月1000万円を超える売り上げを記録する。

●2000年〜
29歳の春、自ら雑貨販売業を始め、1年目で2店舗を経営する。
うち1店舗は1年のみで年商6500万円を超える。

●2001年〜
ヤフーオークションで月に30万円以上を稼ぐことに成功し、インターネットのビジネスに興味を持つ。インターネットを使ったビジネスを始めようと、次のビジネス展開を模索する。たまたま見つけたサプリメント販売のビジネスを開始し、販売代理店や顧客を全国で募集するため独学でホームページ作成を始める。速効で大きな反響があるホームページの作成方法やメーリングリスト、インターネットマーケティングを習得し、初めて作った1つのホームページから1ヶ月強で300名を超える販売代理店集客に成功する。

続いてインターネット広告代理店の募集を行い、速効性のあるホームページや広告、マーケティングのスキルや知識を活かし、1年足らずで600名を超える集客に成功し、800万円超を稼ぐ。2つの広告代理店ビジネスで日本一になる。

自ら活用して効果があったメールマガジン広告の紹介をする会員制サービスを始め、たった1ページのホームページから2000名以上の会員を獲得する。

●2002年〜
資本金300万円で有限会社バズスタイル(現 S・マーケティングジャパン株式会社)設立。カーリース業やOA機器リース業、ハウスクリーニング業、住宅リフォーム業を手掛ける他、企業の集客用ホームページ作成を手掛ける。

●2005年〜
ライブドアブログを開始し、当時ライブドア社長だった絶大な人気を誇る堀江貴文氏(ホリエモン)の社長日記のランキングを抜き、84万人の全総合ブログランキングのベスト30に入る。当時は革新的だった動画配信をブログで始める。まぐまぐ!でメールマガジンを発行し、一切お金をかけずに新作発行部数ランキング3位になる。インターネットビジネスの成功ノウハウを提供する、期間限定の有料会員制サービスを開始。1ヶ月間で100名以上の会員を獲得し、惜しげもなくノウハウを提供する。

●2006年〜
インターネットを使った仕入れ不要のネットショップ(ドロップシッピング)を開始。初月206万円、10ヶ月後には1000万円以上、初年で4645万円を稼ぐ。

●2007年〜
すでに米国で広がっていたドロップシッピングの可能性にいち早く気付き、ノウハウを体系化して教材にする。単価2〜3万円以上にも関わらず、妥協のない充実した教材内容やサポートの好評さが一気に口コミで広がる。月に1000万円以上の売り上げを記録し、3300冊以上、計8400万円以上を売り上げる。ドロップシッピングやインターネットビジネスの教材としては2年以上もロングランで売れ続ける唯一の教材となる。

顧客ゼロから売り込みなしで、たった一人で19ヶ月で売上1億円を達成。実績を聞きつけたビジネス誌の大手出版社のビッグトゥモロウやテレビ東京「ありえへん世界」から取材を受けるなど、メディアからも取り上げられる。

●2008年〜
メールマガジン(まぐまぐ!発行)が7万部を超える。
資本金300万円から800万円に増資を行う。
100屬離フィスに移転する。

●2009年〜
即戦力になるホームページの作り方のサポートを求める声が増えてきたため、月収100万円稼ぐホームページの戦略をプログラム化する。インターネット初心者でも実践できるように、ホームページ戦略が分かりやすくプログラム化された教材が評判になり、販売直後から人気の教材となり、瞬く間に400冊以上が売れる。

人気のドロップシッピングビジネスを行う上での差別化対策として、ホームページ作成の知識やスキルのない初心者でも、SEOに強いオリジナルサイト作成が簡単にできるWordPressを最大限に活用したCMSテンプレートや一括投稿システムを開発。販売直後から大手ASP売上げランキング1位になるなど注目を集め、ユーザー数が2200名を突破する。

●2010年〜
メールマガジンを使ったアフィリエイトでは、ホリエモン(堀江貴文)アフィリエイトで全国5位、「天才・たけしの元気が出るテレビ」等の人気番組の現役放送作家(野呂エイシロウ氏)のインタービュー音声アフィリエイトではコンバージョン率が脅威の32.5%でダントツの日本一を記録し、ジェームス・スキナーのアフィリエイトキャンペーンでは全国3位など。

他のアフィリエイトコンテストで1位を2回など、全国のアフィリエイターの中でトップクラスの結果を残す。

●2011年〜
資本金800万円から1000万円に増資を行い、有限会社から株式会社に移行する。ウェブを使った集客アップ、売上アップの仕組み作りを中心としたインターネットマーケティングコンサルタントとして活動を開始する。10年に渡る経験や実績が評価され、宮崎県商工会議所認定専門家のITコンサルタントに登録される。インターネットマーケティングを活用した情報提供やサポートを精力的に行う。インターネットに関するビジネスやマーケティングのアドバイスには無駄がなく的確と評判。アドバイスを受けた人から売上げを伸ばす人が続出する。

●2012年〜
ひとりネット起業で成功したい人をサポートする活動を開始。自分らしく自由に生きたい人を一人でも多く出すめに、精力的に情報発信している。

自らの無料メールマガジン
「関達也の【年収1000万円ひとりネット起業成功法】〜自由に自分らしく生きたい人のためのメールマガジン」は、日本で唯一の「ひとりネット起業家」のためのメールマガジン。全国20位以内に入る読者数で、7万人以上に有益な情報を送り続けている。(まぐまぐ!総合ランキング調べ)

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◆ここからは裏プロフィールです。。。

上のプロフィールには、私のこれまでの経歴や実績を掲載しました。しかし、正直に言いますと、上記は表向きのプロフィールです。実はこの間、本当に多くの失敗や挫折など、いろんな経験をしてきました。以下が裏のプロフィールになります。

私のことに興味のある方はぜひ読まれてみてください。

◆誕生〜学生時代

私は、父の転勤先の名古屋市で昭和45年(1970年)に生まれ、6歳まで名古屋で過ごしました。保育園の記憶は薄っすらある程度でほとんど覚えていません。その後、父が自営業を始めるため両親の故郷の宮崎に帰郷し、小学校から高校までは宮崎で過ごしました。一切、息子の私を褒めず家族サービスをしない頑固で無口な父と、褒めることが上手で毎日笑顔を絶やさない子供想いの母に育てられました。

「親や先生の言うことは絶対!」という環境の中で育ちました。

親の自営業の手伝いをして小遣いをもらったり、地元の祭りに参加して小遣いをもらったりして、駄菓子屋さんに通うのが好きな平凡な子供でした。駄菓子屋さんでは、駄菓子はもちろん、くじやガチャガチャをするのが好きでした。

小3からはソフトボールチームに入り、小6までピッチャーをしました。一度、ノーヒットノーランをしましたが優勝経験はありません。小5から水泳大会の平泳ぎで出場し、小6では吹奏楽でチューバやオルガン、打楽器を経験しました。すべてにおいて特に上手いほうでもなく平凡な成績でした。

ゲームセンターや電子ゲーム、テレビゲームが好きで、小5のころマイコンに出会いました。単にゲームがしたいというだけでしたが、マイコンはプログラムを打ち込むだけでいろんなゲームができるまさに魔法の宝箱でした。すごく欲しかったのですが、親が小学生にとって高価なマイコンを買ってくれるわけがありません。

デパートのパソコンコーナーに行ってはBASICを打ち込み、テープにセーブして帰って、また通ってロードして、、、を毎日のように繰り返す変な小学生でした。小6になると、秋葉原に行ってパソコンを自作する、という夢まで書いてました。

中学生時代

中学校に入学して、サッカー部に入りました。カッコいい、モテそう、というようなよくある動機だったと思います。初めてのアルバイトである早朝の新聞配達も経験しました。ただ、数ヶ月しか続きませんでした。自分の好きなことにどんどん目覚めていくと同時に、反抗期にも入りました。

部活や宿題の合間にデパートやNECのショップのパソコンコーナーに出向く息子を見かねて、父がPC8801の中古を買ってくれました。プログラムは出来ませんでしたが、ゲームのプログラムを打ち込んでは遊んでました。

しかし、次第に興味は音楽に移っていきました。サックス、ドラムと練習し、最終的には、エレキギターをすることに決めました。そして、PC8801を売って、エレキギターを買いました。バンド活動を目指し独学でギターを練習しました。やるからには、本気でやりたいと思ってプロになるのを毎日夢見てた少年でした。

中3から、同じ宮崎市内の中学校に転校することになりました。両親は、私が反発するのを分かって、私にだまって新しい家を建ててました。そして、引越しと転校をする直前に私に伝えてきました。

どのタイミングでも私は反発したと思います。友達、彼女、サッカー、バンドなど、すべてが取られてしまう気がしました。

転校先は2つとなりの中学校で、元の中学校に通えない距離ではありません。親は教育委員会にも相談してくれましたが、転校を免れることはできませんでした。往生際が悪い私は、転校先でも担任や校長にお願いしましたが無理でした。元の中学校のサッカー部の試合には学校を休んで応援に行きました。

半分はあきらめ、半分はあきらめない、という気持ちでした。いろんなところに前の中学校の校章をつけ、半分は前の中学校の生徒という態度で卒業を迎えました。

中学時代は、親が苦労して建てた新築に大きな穴を開けてしまったり、両親のほか、先生や友達にも迷惑をかけてしまったと思います。ただ、果敢な思春期にいろんな葛藤や経験を乗り越えたことは、あとになってプラスになったと思えましたし、親や人の気持ちを理解できるようにもなったと思います。

高校生時代

中学生のころと比べたら、いくらかはおとなしくなった高校生時代だったと思います。ただ、大人になったら自分がやりたいことをして自由に生きたいという思いは、高校生時代から特に強くなったと思います。高校時代は同級生に『サラリーマンにはならない』と言ってたそうです(同級生談)

バンド活動一筋になりたいと思い、高校1年になったとたん、中退を申し出ました。しかし、親や担任、サッカー部の顧問の説得により、高校までは出ることを決めました。早く高校生活が終わればいいと思う日々が続きました。

当然のことながら、大学へ行く気は高校3年が始まるまで全くありませんでした。そのため、成績はどんどん真っ逆さまに落ちていき、学年の中でも落ちこぼれになりました。

バンド活動では、高校生ながら宮崎のラジオ番組に2度出演したり、ヤマハ主催のコンテストに出たりしました。

ますます、プロでやっていきたいという意識は強くなりましたが、
他のバンド仲間にはプロになりたいと本気で思っているような人はほとんどいませんでした。

その頃、バイクに興味を持ち免許を取りました。見付かったら退学という厳しい学校でしたがそれでもいいと思っていました。原付でしたが、世界が広がりました。友達のNSRを借りてツーリングに行ったときは感動ものでした。

依然、勉強はそっちのけで、バンドとサッカー小僧の私でしたが、
高3になった時に転機が訪れます。高3の担任が、自由でバラ色の大学生活をイメージさせる天才だったのです。

素直な私はまんまとハマり、上京してバンド活動をしたいがために、関東方面の大学を受験することを決意しました。

最下位学級の中でもさらに落ちこぼれでしたが、中でも競争率が低かった千葉大学教育学部を狙って頑張り、奇跡的に現役で合格できました。私の人生の中で、初めての成功体験はこの大学合格でした。

しっかりと目標を決めて達成した、という成功体験は、小学校の頃の恩師が教えてくれた「やればできる」を自分の中に確立した出来事でした。

●大学生時代

宮崎からひとり、夜行列車で福岡の小倉まで行き、小倉から新幹線で東京を目指しました。

市ヶ谷にある宮崎県の寮が夢への第一歩でした。
寮は二人一部屋の部屋でした。

東京のど真ん中なのに、セブンイレブンが本当に夜の11時に閉まってしまって驚きました。ほっかほっか亭にチキン南蛮がなかったことはさらに驚きました。

東京の寮に暮らし始めて1ヶ月、同じ階に住む同じ高校出身の東大生が突然亡くなりました。

一所懸命頑張って東大に入りこれからという時です。人生は儚いものだ、あきらめずに今できることを頑張ろう、と強く思いました。

上京のメインはプロのギタリストになることでした。
どんな出会いがあるか楽しみでした。

しかし、最初に戸惑ったのは大学でした。

大学は自由で、もう勉強しなくていいと勘違いして入学してしまったため、時間割を作成したとたん、あまりにショックを受けてしまいました。

そして、いきなり不登校が続いたのです。

あっという間に学部で一番単位を落とした落ちこぼれになりました。

バンドでは、サークルに入り、毎日バンド活動をやってました。

実力のある先輩からかわいがってもらい、一年生では私ひとりだけ入学してすぐに行われた春祭に出演できました。

東京に住んで4ヶ月目に千葉市に引っ越しました。

大学に歩いて2分のところだったので、夜な夜なサークルの部室に通ってはアンプにギターを差込み練習してました。

好きな音楽をやりたい放題できるサークルは好きでしたが、
サークルのとある飲み会で、まじめくさった掟のようなものを先輩から強要され、1年も経たずにサークルを脱退しました。

本当に好きなメンバーと音楽を続けながら、同時にアルバイトで始めたガソリンスタンドの影響で車にハマっていきました。

最初は、軽のミラターボに乗ってましたが、
必死にお金を貯め新車のGT-R(BNR32)を買いました。

バンド練習もやりながら、車のチューニングドリフトやゼロヨン、湾岸を走り回る日々で、アルバイトに明け暮れる大学生でした。

同級生やバイトの仲間と飲みに行くことも多かったですが、
音楽と車という自分の趣味を謳歌した大学時代でした。

結果、留年してしまい、一人ぼっちで大学を卒業しました。

●フリーター時代

大学は半期のタイミングで卒業したこともあり、就職活動はまったくやりませんでした。

同級生の多くは、すでに就職したり先生になったりしてました。

私は、すでに夢だったバンドもあきらめてしまってました。

その後は、サーキットを走るなどしてドライバーの腕を磨きレーサーにもあこがれました。

しかしそれも続かず、結局、将来何がやりたいかが見つけられませんでした。

就職する意味も見出せないまま、3つのアルバイトを掛け持ちするフリーターになりました。

●一年限りのサラリーマン時代

その後、とりあえず塾講師を1年間勤めようと就職しました。
最初で最後のサラリーマン時代です。

入社後まもなく、1ヵ月後に教室全てを任される教室長になることを宣告されました。

面接時には決まっていたようですが、一切伝えられてない出来事でした。

入社後は、社長や元教室長から連日厳しく大変な引き継ぎ指導を受けました。

入社から一ヶ月全く休みがなかったため、1日だけ休みの許可をもらいました。

休み明けに出勤すると、元教室長から「なぜ休んだのか!お前は来ると思っていた!」と、2時間半立ちっぱなしの理不尽な説教を受けました。

元教室長はノイローゼだったという噂を後で事務員に聞きました。

後日、私は悩んだ挙句、退職願いを提出しました。

その日、授業を終え生徒をバスで送り、仕事も終えた深夜0時過ぎに、社長と元教室長が私に激しくどなり始めました。

退職願いの一番の理由に「会社よりも自分の体が大事です」と書いたことで、「社会を甘くみている」と激しく批判されたのです。

元教室長は号泣し、社長は思いきりペンを投げつけ、机を何度も叩きました。深夜1時、私は生きた心地がしませんでした。

辞める意思は固まっていました。

遠く離れた両親からも「辞めた方がいい」と言われました。

しかし、1年間は勤務する気持ちで入社したこともあり、私は意地で1年間の勤務を決意しました。

教室長になってからは怒涛の日々が続きました。

小学1年生から中学3年生までの毎日の授業に、夏期・冬期・春期講習。全クラスの時間割作成から講師の配置。生徒集めのビラ配りに、学校の門に立って登下校時に声がけ。生徒指導から保護者との二者面談、進路相談。生徒の送迎バスの運転・管理、バスの時刻表作成。アルバイト講師の管理・教育・面接・採用から、経理の管理や事務員の管理。

社員は私一人。
これらすべてを一人でこなしました。

過酷な業務を一日も休むことなく必死でこなし、元教室長が成し得なかった生徒増に成功しました。

わずか1年間の就職経験でしたが、人を人として見てくれず、
夢を見ることすらできなかったサラリーマンは自分には向いていないと確信しました。

◆フリーター兼個人事業主(一度目のどん底)

24歳の夏、自由と幸せを手に入れている成功者がいることを初めて知りました。

私は自由で幸せな人生を手に入れるため、人に雇われずに成功する道を目指し、その成功者がいる福岡へひとり引っ越しました。

彼は大学の教授をしたり、世界銀行に勤めたりなどの経歴を持った人でオーストラリアに広大な牧場を経営し、ハワイなどに別荘を持ち、世界を渡り歩く人でした。

まずは自らフリーターを選び、バイトの傍らカタログ通販や訪問販売などの直販業界に携わりました。

フリーターの仕事は、派遣の日雇い労働から、ホテルのウェイター、カラオケボックス、ホスト、バー、引っ越しドライバー、 弁当屋、警備員、ビラ配り、ショップ店員、宅配ドライバーなどです。

アルバイトをいくつも掛け持ちしながら、カタログ通販や訪問販売などの物販、代理店、その他いくつかのビジネスを行い、経験した仕事は50を超えました。

書籍やセミナーなど、自分を成長させる投資は惜しみませんでした。ナポレオン・ヒルの「思考は現実化する」が私のバイブルになり、車一台が買えるプログラムをフルローンで購入したりもしました。

少しビジネスが軌道に乗り始めたころ、彼女(現在の妻)と出会いました。

ビジネスを広げるために、二人でインドにも行きました。

しかし、その後はいずれも思い描いていた成功とは程遠い結果しか得られませんでした。

1日500円で生活する日々、そして家賃を6ヶ月滞納し、追い出される直前になることもありました。

大卒であるにも関わらず、アルバイトの面接を立て続けに6回落ちる経験もしました。

カードで借りれるお金も底を尽き、恥ずかしいことに彼女にまでお金を借りる日々でした。

人生最初のどん底になった時も、彼女(現在の妻)は私を信じてついてきてくれました。

◆結婚、雑貨店経営

借金が増える一方だったこともあり、収入を少し安定させるためにバイトを増やしました。

次第に少しずつ収入が増え、どん底を乗り越えられそうな時に彼女と結婚。

付き合い始めた当初から、夢を叶えるために一緒に生きようと約束した伴侶です。

ただ、現実的には借金もあって、先の見えないフリーターでした。
一緒になってくれた妻には今でも感謝しています。

それからは、少しずつ上り調子になっていきました。

バイト先で習得した雑貨店経営の知識やスキルを身につけたあと、
300万円を借金をして小さな雑貨店を始めました。

そしてすぐに2店舗目を展開し、借金を返済し1年目で軌道に乗りました。

○○荘という砂壁のオンボロアパートを抜け出し、当時の夢だったマンションの最上階の4LDKに妻と住むこともできました。

成功を目指して初めて経済的に余裕が生まれたときでした。

新たな挑戦で会社設立、ところが、ニート、引きこもりに(二度目のどん底)雑貨屋ではまだまだ続けていける商品やコンセプトでした。

しかし、お店1年以上もお店を休まず、朝から晩まで経ち続けてたり、人を管理したりするのを続けることに限界を感じました。

もともと私は、自分のお店を持つことが夢ではありませんでした。
そうしたこともあり、小さな成功を収めた雑貨販売の事業は1年ちょっとで辞めました。

これから自分本来の夢に向かって頑張るため、有限会社(現在の会社の前進)を設立しました。

信頼していた人からベンチャービジネスの話が来て賛同し、いよいよこれからという時でした。

ところが、信頼していた人に裏切られたり、貯蓄した資金のほとんどが詐欺に遭って失ったりということが重なりました。

大きなお金を一気に失ったダメージも大きかったですが、信頼し尊敬していた人から裏切られたり、騙されたりという精神的なダメージはさらに大きいものでした。

そして、ニート、引きこもりになりました。

お金も尽きてしまい、2度目のどん底になりました。

気付けば、成功を目指してから総額2000万円以上の借金になっていました。

◆夢破れて故郷の宮崎へ

ついに家賃が払えなくなり、破産寸前まで追い込まれました。

実家を飛び出して15年、いくつもの夢が破れてしまってました。

そして、実家の宮崎に家族を連れて戻ることにしました。

しかし、実家の自営業はバブル崩壊後に倒産していました。実家は、あの新築で建てた家も財産もすべて失い、狭く古い市営住宅になってました。

私は妻と子供二人の四人家族になってました。とりあえず実家に居候しようとしましたが、案の定、部屋は一つもありません。

最初、父からは「帰ってくるな、困る」と言われました。

それでも、住むところがないので泣きつくしかありませんでした。

ようやく、寝る場所だけ与えてくれたものの、居心地の悪さは変わりませんでした。

何とか家族がゆっくり過ごせるようにしたいと思い、日銭稼ぎのハウスクリーニングを開業して、何とか借家に引っ越すことができました。

しかし、その借家は1LDKの小さい家でした。それでも居候よりは随分ましでしたが、家族に満足に食事も与えてやれない日々が続きました。

子供たちが遊ぶ部屋もなく、遊園地や動物にも行けず、幼稚園にもやれない・・・

それでも、ほんの少しの小さな幸せを感じながら日々を懸命に働き、生きました。

◆死を意識(三度目のどん底)

人並みの暮らしをしたいと、ハウスクリーニングとリフォームで必死に頑張っていた夏でした。

初めて自分の死を意識した瞬間を経験しました。

夕食を食べていたら、急にフラッと力が抜け倒れたのです。
過労や脱水症状などが原因でした。

それまでは健康に自信があり、人の2、3倍は頑張れると思っていたのでショックでした。

しかし、この経験によって、健康の大事さを痛感しました。そして、食事・運動・睡眠にもっと気をつけるようになったことは良いことでした。

そして、死を意識したとき、愛する家族と楽しい人生を過ごせなくなることは絶対に嫌だ、と心から思いました。

自分が本当に大事にしていることが明確になったのは、この経験があったからこそです。

現在、朝起きたら水やフレッシュジュース、ビタミン、プロテインなどを摂取し、毎日ランニングを続け、睡眠時間を7時間取るように心がけているのも家族と楽しい人生を過ごす健康な体を維持するためです。

ただ、当時は栄養もギリギリでした。ついには仕事が続けられなくなり収入がストップし、ついには家財や愛車も手放しました。

愛車を手放したお金の一部で株の売買(デイトレード)にチャレンジしました。株ブームでしたし、デイトレードなら重労働もなく自宅でできるからいいな、と思ったのです。

始める前に、株の勉強を半年間やってました。
しかし、大した資金もなく、所詮、素人です。

デイトレードは、肉体労働ではないものの、精神的な体の負担は相当なものだと知りました。結果、デイトレードを始めて数ヵ月後にはライブドア事件も重なったこともあり、大損をしました。

今度は中古車売買事業を始めました。

オークション会場と契約し、自分は仕入れずにお客さんの希望の車を探したり、逆に売却したい人の車を売って手数料をもらうのです。

中古自動車査定士の勉強もして資格も取得しました。もともと車が好きだったので楽しい仕事ではありましたがなかなか軌道に乗りませんでした。

生活を維持していくどころか、ますます状況が悪化していく生活でした。

とうとう3度目のどん底でした。

いよいよ破産寸前、来月にも破産申告か、という時でした・・・

◆破産寸前からの大大大逆転!

母や義母からも、「就職すれば?」とか「とりあえず、バイトでもすれば?」と言われました。

いつも私がすることを「たつがやりたければやればいいよ!」と私を信頼し、無条件で応援してくれていた妻も、このときばかりは母や義母の意見に賛成でした。

子供も大きくなってきましたし、仕方がないことかもしれません。

しかし、その先に何があるのか?と自分に問えば、答えは「何もない」でした。私にとって、それは人生の敗北を意味することだったのです。

最後の最後まであきらめたくはありませんでした。

私は、多額の投資や加盟金を失ったり、信頼していた人からの裏切りなどで失敗した経験から、できるだけリスクのないビジネスを懸命に探しました。

「資金がなくても始められる」、「全国展開できる」、「ひとりでできる」という条件をクリアするために、インターネットを活用することは大前提でした。

そして、資金をあまり必要としなくても展開できるビジネスアイデアが浮かびました。他社の商品を仕入れをせずにインターネットで代理販売する方法です。

できるかぎりの知識と知恵と経験を駆使して全国展開しました。

顧客はゼロ、メルマガやブログ、ホームページもない状態からのスタートでしたが、売り込みもせずに初月206万円、10ヶ月後 1009万円、初年で4645万円を稼ぐことができました。

そして、ようやく、念願だった

子供を幼稚園に通わすことができるようになりました。
外食ができるようになりました。
友人からの飲みの誘いも、断らなくて良くなりました。
友人の結婚式にも参加できるようになりました。

親孝行ができるようになりました。
家族旅行ができるようになりました。
車やギター、サッカーの趣味もすべてできるようになりました。
社会貢献ができるようになりました。

その後、知識やスキル、ノウハウを多くの人に伝えて幸せになってもらいたいという想いで、教材を自費出版してインターネットで販売しました。

教材販売としても人脈ゼロのスタートでした。

まったく売り込まないで集客し、販売するという方法で全国展開しました。

そして、充実した商品内容やサポートの好評さが口コミで広がり、
37日で1410万円、1年目で6600万円以上を稼ぐことができました。

結果、破産寸前で顧客ゼロの状態から、売り込まないで19ヶ月で1億を稼ぎ出すまでになりました。

子供や親のことを考えて、環境がいいところに引っ越すことができ、思い描いていた自由で幸せな人生を少しずつ手に入れることができました。

メディアから取材を受けたり、講義の依頼も増えてきました。

このように私はインターネットを活用することで、一気に道が開きました。

現在は、ひとりでも始められるインターネットビジネスのサポートのほか、集客や売り上げアップ、ビジネスプロデュースなどを願う個人事業主様や中小企業様へのコンサルティング活動なども行っています。

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インターネットは今世紀最大の革命です。

こうして私があなたにインターネットやインターネットビジネスの可能性について語れるのも、私がインターネットの恩恵を受けてきたからに他なりません。

上記のとおり、私は成功を目指してから軌道に乗るまでに長い月日が掛かりました。

しかし、インターネットを上手く活用することができてからは一気に軌道に乗せることができたのです。

私は、24歳に自由を手に入れようと決め、成功を目指し始めました。

しかし、結果はすべて裏目裏目に出て、月収5万円の落ちぶれたフリーターになってしまいました。

立ち上げた会社も給料なしの状態が何年も続きました。

私が求めていたのは、自分の人生を自分でコントロールできる自由で幸せな人生です。

しかし、成功を目指して10年以上経っても、まだ到達できてませんでした。

それでも成功をあきらめきれない私は、一台のパソコンをネットに繋げ、可能性を探してました。

自宅の1畳半で、ひとりで地味にビジネスを始めたのです。

そして、ようやく出逢いました。

「ひとりネット起業」こそが自由で幸せな人生を手に入れる手段であり近道だったのです。

前述したとおり、私は3度もどん底を味わう人生を送ってきました。

しかし、「ひとりネット起業」を行えば、人生の大逆転が出来ると知った今、これらの経験はすべて笑い話になりました。

笑い話にできるのも、私の人生の中で、今が人生で一番幸せで成功しているからだと思います。

私はずいぶん遠回りをしてきました。

ただ、たくさんの経験をしてきたからこそ、「ひとりネット起業」の魅力や価値を人一倍感じることができ、それを日本一伝えられると思っています。

ひとりでできるインターネットを使ったビジネスは多岐にわたります。

たとえば、ヤフーオークション、アフィリエイト、情報販売、ネットショップ(ドロップシッピング含む)会員制ビジネス、輸出入ビジネス、せどり、コンサルティング、広告などなどです。

もしあなたが、一生に一度しかない人生という旅を、自由に好きなことをして過ごしたいと思われたら、私は迷わず「ひとりネット起業」をおすすめします。

効率が良いビジネス、手っ取り早く稼げるビジネスなど、各ビジネスにはいろいろな特徴があります。やってみないと分かりませんし、リスクはほとんどありませんので、まずは興味があるものを始めてみられるといいです。

「ひとりネット起業」だったら、私のようなどん底も味わうことなく、また私が苦労して過ごした約12年の歳月を大幅に短縮することができるでしょう。

私が、あなたのお役に立てればこんなにうれしいことはありません。

長くなりましたが、最後までお付き合いいただきありがとうございました。

今後とも、よろしくお願いいたします。
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